相毎モコ

400字で書くことを心がけ

最果てのサウスパークにてケニーはタヒ

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いつかの文藝だったかと思う。最果タヒの何かの短編(確かパパララレレルル)で登場人物の呼称が、まーくん、しか出てこない話があった。
内容はうろ覚えだけど、私も彼氏も友達も彼女も先生も何もかもがまーくんで、自我の錯綜というか、意識下の迷子になったような感覚があった気がする。

鏡に向かってお前は誰だ? と問い続けるとしまいに発狂できる。という話があるけれど、これはマジだと思う。自分を自分たらしめる何かが分からなくなるに違いない。
自分が自分だと認識できる気がするのは、つきつめると「だってそうだから、そう思うから」としか答えようがない。自分ですらこの曖昧さなのだから、明日会う田中さんが今日の田中さんであることはもっと曖昧である。

自分を自分だと、その人をその人だと認識させる何かは、きっと豆腐よりも脆くコンドームよりも薄い、もしかしたら温めた牛乳の膜のようなもので、なにか刺激を与えれば破裂してしまう、そんなものなのかもしれない。
そしてその要素や可能性を、私はこの「まーくん」から感じて、その辺のホラーよりも怖い思いをした。


もっと恐ろしいことには、あのサウスパークに共通点が見いだせる話がある。「宇宙戦士!腹ぺこマーヴィン」という話だ。

サウスパークアメリカの切り絵アニメで、どんなもんか説明すると一週間徹夜で説明してもし足りない、そんなアニメであるが一言で言うと「親だったら子供にあまり見せたくないアニメ」とかその辺である。
『「とはいえ、サウスパークというアニメの芯には痛烈な社会風刺があり、ともすれば忘れてしまいがちな物事の本質をあけすけなジョークと共に思い出させてくれる。ブラボー、またはハラショー、サウスパーク。」
というのがサウスパーク擁護団体の常套句となっている。』
というくらい擁護が必要な変態アニメーション、それがサウスパークである。

ということで「宇宙戦士!腹ぺこマーヴィン」だが、この話にはマークラーという言葉が頻発する。しかも名詞としてのマークラーに留まらず、動詞としてのマークラー、形容詞としてのマークラー、とマークラーだらけである。

ここでひとつ思い当たることがあって、それはつまり「最果タヒサウスパークのファンなのではないか」ということだ。
「まーくん」と「マークラー」の響き。
そして「まーくん」と「マークラー」に共通する、そのもの一切の意味を失った、と同時にあらゆる意味を包含する性質。
最果タヒサウスパーク…。
サウスパークは作中でとんでもない田舎として描かれており、田舎や辺境は時に「最果て」と揶揄されることがある。
また、「タヒ」は「死」の崩し字として、ある界隈では認知されているが、サウスパークではほぼ毎回ケニーという男児が死ぬ…。

以上のことから推し量れてしまうのは、
最果タヒサウスパークからまーくんのアイデアを思いついた、そして彼女は変態アニメ・サウスパークのコアなファンである」ということだ。


そう考えついてみると、なんだか最果タヒをとても好意的に思う自分がいる、今現在。
最果タヒ」を「もかたひ」と初めは読んでいたこともあった、という個人的なエピソードを本人に伝えたい、今現在。