相毎モコ

400字で書くことを心がけ

中島らも本に託す

過日。
母とその妹の来訪があった。ジャニーズのライブに来たついでだと言う。母は55、妹つまり叔母は50。僕はアイドルという存在に全く興味がないのでファンの平均年齢などは知る由もないが、小学生の頃から周りの女子らがきゃいのきゃいの言っていたことを考えると、母たちはファンの中でも高齢の部類にある。
いくつになろうと何が好きであろうと、好きな人やものがあるということは、すんばらしいことだと思う。ぜひ、母と叔母にはその最期の床においても、傍にアイドルの名前を印じた団扇なりを飾っていてほしい。

来訪の夜は、いろいろと話をした。叔母の息子、つまり僕の従兄弟とその友達が劇的にもてない、という話であった。
女の子に好かれる術を心得ていない、いざ思いの丈を打ち明ける際の手際もまずい、というのである。そこで、叔母は息子と友達に本を読めと言ったそうだ。
本を小説を読めば、まず考える癖がつく。人の気持ちを想像するようになるし、そもそも人の気持ちが想像できなければ女の子を口説くのは難しい。それに言葉の幅と奥行きが生まれて、愛を伝える際にもただ「俺は君を愛してるぜ、ほんとだぜ」と言う他に、「月がきれいですね」とかなんとか言えるようになる。また、人間の明るい善い面だけでなく、暗い醜悪な面も小説を通して知ることで人間自体が深まるだろう。
とのことらしい。

本や小説を読むことで人の気持ちが多少わかる(想像する)ようになったり、語彙が拡がったり、人間性に凹凸が生じることもあるかと思う。確かに読書は、読み人に良い影響を与えることがあるが、その逆も然りである。だから、本ばかり読んでいるからといって誰もが恋達者なわけではないし、作家だからとて良い人間愛にあふれた人ばかりではない、むしろ極悪、というのも現実である。

 

世の中はよくわからないことにまみれているが、恋や愛、と名付けられたものはその最たるものだと思う。ほぼ誰もが誰かに恋心のようなものを抱き、その「ようなもの」をなんとかして自分ではない他人に伝え、あるいは伝えたいと感じる。感じてしまう。この「しまう」というのがキモであって、根本的にどうしようない。意図せずとも呼吸したり、まばたきをしたり、空腹を感じたりしてしまうのと同じで、誰が人間をこのように設計したのか知らんが、自動的なものである。好むと好まざるにかかわらず、誰しもが経験するようになっている。

そして、誰しもが経験するものなのに、誰もそのやり方や秘密、仕組みを教えてくれることがない。日本のお金や政治の教育と同じで、黙っていても学校や親が手取り足取り教えてくれるものではないのだ。避妊の方法や買い物の仕方は教えてくれるが、どうしたらお金を生めるのか、セックスはどう進めたらいいのか、そもどのようにして恋仲になれるのかといった過程を説明しない。きっと、正解がないからだろうと思う。

しかし、多くの人が人生の大部分の時間をかけるのはその正解のない問題、金とセックスなのではないか。というと乱暴だが、そう思う。少なくとも、金とセックスに関連する事柄が人生のほとんどを占めるだろう。恋や愛を通してセックスをし、子供をもうけて家族をつくる。家族に不憫な思いをさせないように金をどこかから持ってくる。雨風しのげる楽しい我が家。
人生の大半を占めるのに、その正解がわからないとは、創造主は本当に大変なことをやらかしてくれたものである。
方程式や英単語、年号などの学校の勉強がなんの役にも立たぬ、という子供の主張は、あながち間違いではない。

叔母の話に正解を供えることはできなかった。恋や愛などわからない。
しかし何も収穫がないのもあれなので、中島らもの本を何冊か貸した。どうとなるものでもないけども。