相毎モコ

400字で書くことを心がけ

一般市井のドーピング

科学史をずっと先まで読んだ限りでは、最先端の科学技術が一般庶民の生活感情と遊離するほどまでに進んだ社会は、必ず何らかの形で不幸に見舞われているのだ(旅のラゴス 筒井康隆 新潮文庫 P154)。

 

筒井康隆「旅のラゴス」を読んでいて、ハハア、と思った一文。日々にアップデートされる人間の不幸や騒動はメディアを問わずにニュースとして耳目にしているが、その主な源泉はおそらくインターネット、ひいては電気なのだろう。

もちろんこれらがなければ不便極まりなく、今のこの世はおろか自分が存在していたかどうかも定かではないが、これらによって泣いた人、人々が確実に存在している。存在していた、そして存在していくだろう。

過去、電気やインターネットと同じくらいのパラダイム・シフトをもたらしたドーピングはあったのだろうか。火の扱い、言語の誕生、農耕文化、火薬の発明、様々な力学の発見と時代〃〃のそれはあっただろうが、その時時に、現代と同じような混乱があったのかどうか。それは調べてみる価値があるかもしれない。そうすることで、電気やインターネットのインパクトを確かめられる気がする。