相毎モコ

400字で書くことを心がけ

遠いロクヨン

その昔、まだドラえもんの声が大山のぶ代の声だった頃の話。

いとこの家によく遊びに行き、よくロクヨンをしていた。ロクヨンというのは、舶来のなにかしらではなく、日本が世界に誇る任天堂が売していた遊具、ゲーム機である。マリオカートというものでよく遊んだ。
驚くのはゲームの面白さ(ロクヨン持ってなかった)、そしイッピーの取り合いである。

イッピーというのはこれも、舶来の何ものかではなく「1PRAYER」、すなわち第一コントローラーを駆使する者のことである。
このイッピーになると色々恩恵があるそうだ。
スタート画面からゲーム開始までの主導権を握れる。他の人より先んじてキャラクターなどを選択できる。なんとなく他に先んじた気持ちになり、人心を掌握できる。リーダーっぽい。大将。主役。プレイヤーカラーが赤い。一番。
基本的にみなを従え、その舞台を整える醍醐味を味わえるのが、イッピーなのだ。
(たまにこの醍醐味が全プレイヤーに許可され、イッピーの専制が崩壊しているゲームもある。思うにイッピー争奪戦の回避策としての措置なのかもしれないが、誰しもが操作できるために以心伝心の関係ででもないとうまく連携をとることができず、かえって場が混乱することがある。スマブラのステージ選択とかETC。困ったもんだ。)


人間、誰しもが欲をもっていて、支配欲とか権力欲とかもそのうちである。
となれば、誰もがイッピーになりたがるのは、これはもうしょうがない。ただ僕は、ロクヨン自体がいとこの家のものだし、支配したいなあ!という柄でもないので、おとなしく体育座りをしていた。

なぜ体育座りをしているかというと、いとこ達(3人兄弟)がイッピーの取り合いで戦っているからである。
あの、ゲーム、まだ始まってないのに。すでに戦闘態勢にある彼らは、生粋の戦闘民族なのか?まるでスパルタンのような人達だ。
と当時の僕が思ったかといえば、それは思っていないのだが、とにかく瞠目したのは間違いない。

しばしの口論、やがてコード・衣服の引っ張り合いを合図に、彼らの合戦は火蓋を落とす。
咆哮。撲打。爪攻撃。面罵。蹴撃。流血。滂沱たる涙。さらなる咆哮。嗚咽。飛んでくる伯母。拳骨。たんこぶ。滂沱たる滂沱たる滂沱たる涙涙涙。

もはやロクヨンどころではない。マリオカートのオープニング、デモ画面が、あるいは選択画面の音楽が無限に流れる。スタート画面から、あるいは何人プレイにしますか?の画面から一歩も進んでいないのだ。
(スタート画面のオープニングか、選択画面かは、イッピーのスタートボタン、エーボタン、ビーボタンがそれぞれ何回押されるかにかかっているので、ここはいとこ達の争う中でどのようにイッピーコントローラが翻弄されるかに左右されるのである!)

こうして、「もうゲーム禁止だから!!!!」という伯母の一言でロクヨンはご用済みとなり、僕らは例外なく悲しい気持ちになるのであった。
ロクヨンは「もう売っちゃうから」という伯母のうそぶきによってどこかへと持ち去られ(大概が寝室)、僕らは切なくなって、いとこ達はかりそめの反省をするのである。

そして、数時間後にはどこからかロクヨンが舞い降りてきて、僕らはそこでようやっとロクヨンができるのだ。
伯母の「イッピーはジャンケンで決める」というその日限りで忘れ去られてしまう、画期的な取り決めによって。

楽しかった、嬉しかった。わきゃきゃ、あほほほ。
そうしてキノコ王国のレースに興じているうちに、現実は宵。やっと楽しめたロクヨンと、いとこ達に別れを告げ、家路へと急ぐのであった。
「今度来たとき、またやろうね」という言葉に、後ろ髪を引かれて。


今度来た時。
ロクヨンといとこ達の頭上には暗雲が立ち込んでいる。またもイッピーの戦いののろしが、あがっているのである。
そして同じことの繰り返しだった。

それが、ドラえもんの声がまだ大山のぶ代の声だった頃の話。
今日、車を運転しているときに、ふと思い出したので記す。