相毎モコ

400字で書くことを心がけ

ザッツザクエスチョン チーズ

集中力。

これは人間にとって、何にもまして重要なものであり、集中力が乏しいとささいなことで腕を落としたり、まあ腕を落としたりまではいかなくとも物事がうまくいかなくなってしまう。物事はうまくいったほうがいいので、集中力は強いほうがよろしい。あらゆる人類が志向すべき指標だと思う。

しかしながら、人間の中には集中力に恵まれておらず、客の注文を忘れたり、寝取られたり、財布を落としたり、仕事に失敗をしている者がある。悲しいことだ。そして私も集中力が乏しいので、毎日欠かすことなく悲しい気持ちになっている。ナウも悲しい。

自分は今現在、一介のサラリー・マンであり、聞いたところによると勤務時間は8時間と社則で定められている。つまり、あんたの1日のうち8時間は仕事のことを考えて働くべし、ということだ。8時間の間は仕事以外の、例えばバナナのことや蜂鳥のこと、土用の丑の日の由来や遠くに見える山の名前などを考えることはもっての他で、四字熟語でいうなら言語道断、三字熟語でいうなら不徳義、二字熟語でいうなら不逞、一字でいうなら賊である。
だが、私は集中力が乏しい賊なので、仕事中にもかかわらず仕事以外のバナナや月の満ち欠けのことを思念してしまう。悲しいことだ、情けないことだ。老若男女や子子孫孫に申し訳がない。しかし、バナナやその他のどうでもいいことは脳みそのヒダから湧いてきてしまう。


そういうわけで、今日社用車をひとりで運転しながら考えていたことは、写真を撮る時「チーズ」とか言うがあれはあほっぽいな、ということである。あほっぽいのにそれを辞めないのは、そこに根拠があるからだ。多分。
なぜカメラを携えた人が「チーズ」などと乳製品の単語を口にしなければならないのか、なぜそんなおかしな社会になってしまったのか。カメラをもった人が「チーズ」と言ったからといって、ファインダーのむこうの人々が「チーズ」と言うわけではない。万が一言ってしまったら最後、口元が「ズ」の母音である「ウ」の発語形になってしまい、被写体の人々は浮かれたギャルさんの集団みたいになってしまう。もちろん、目の前にチーズがあるわけでもない。一体この暗黙ルールはなんなんですか?

行きの車中では答えがまったく出なかった。そして帰路も雲雲うなって考えた。
答えがまったく出ないので仕方ない、セブンイレブンという全国的に出店しているコンビニエンスストアーでチーズを買い求め、駐車場で夕日とかもめを眺めながらこれを食べた。夕日とかもめを眺めながら食べたにもかかわらず、何も分からない。
というか、食べ終える頃にはなぜ自分が夕日とかもめを眺めながらセブンイレブンの駐車場で好きでもないチーズを食べているのか、その状況がよく分からなくなった。心細い気持ちがぐんぐん湧いてくる。

仕事中にもかかわらず、わけも分からず地方の路端でチーズをもしゃもしゃし、何も分からずに1日を終える。このままではきっと明日も同様の事態になりかねないので、早急に写真とチーズの関係を明らかにしたいです。