相毎モコ

400字で書くことを心がけ

驚きのネコ だるまさんは転ぶよ

生きていると、休みの日何してるの、などと聞かれたりする事があるが、困る。正味なにもしていない。無為に時間を過ごさせ、サザエさんのエンデングを聞いて詠嘆するくらいしかない。
家でぼーっと本を開いたり爪を切ったりしているのがほとんどだが、ふと猫を見ると変なポーズで固まっていることがある。その様子はだるまさんが転んださながらで、見ていると言い知れない和みが胸に打ち寄せる。

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こんな具合だ。
和みの権化である。

しかしよく考えてみると、変なポーズで固まっていて和みの権化となれるのは人間以外の動物だけである。これが厳しい現実だ。
たとえば自分の父親とかが休みの日にこんな格好で床に固まっていたら、息子は家出を決意するだろう。っていうか母親にしてもそうだし、なんなら姉兄妹弟祖父祖母叔父叔母伯父伯母従兄弟従姉妹義父義母継母継父、ならびに教師後輩師匠彼女得意先仇敵薬剤師その他有象無象の赤他人であってもこれ同様である。
しかし人間にも例外があって、赤ん坊が変なポーズで固まって和みを醸成することには違和感がない。
ということはどういうことか。赤ん坊は人間ではない、ということか。
この場合、それは違うんじゃないかな、とか言う人がいるが私もそう思う。人間の赤ん坊は人間である。蓋し正論である。
しかし、赤ん坊以外の人間が持たぬ何か、和みの核のようなものを、やはり赤ん坊は包含している。そういう意味では赤ん坊は常人離れした存在であり、動物的な要素を持っていると言えなくもないような気がしなくもない。
まことに謎めいた存在である、赤ん坊というやつは。

というようなことを、仕事が四方八方から降ってきてテンヤ・ワンヤしていた本日、現実から逃避して考えていた。
したところ、脳みその中で事故が起こり、シナプスのハイウェイは渋滞、下道に降りるも最近流行りのマラソン大会で渋滞、かつ中国要人の来日による厳重警備体制のため重ね重ね渋滞を申し上げまする。みたいな感じになり、益々混乱を極め、絡まった毛糸玉を絶望的な視線でもって見るような心境に達したのでありました。天梃子舞。