相毎モコ

400字で書くことを心がけ

驚きのネコ リニアモーターカー

齢27にして初めて猫という生き物を飼育するようになったが、いろいろと驚くことがあって例えば、いないな、と思ったら物陰から音もなく突っ込んできて頭蓋骨をぶつけて去ってゆく、という趣味が猫にあることには驚いた。この時、猫は無音である。きっとリニアモーターカーに轢かれる時というのも、こんな感じに無音なのだろう。リニアモーターカーで真っ二つにされるほどのそれではないが、猫に無音頭突きをされると思いのほか痛い。きっと猫自身も痛いのだろう、跳んでいった先でしきりに毛づくろいというかペロペロしているのが常。お互いに痛いのはなんの得もないので、壁に駿河屋の段ボールを貼り、そこに「暗がりからの飛び出し禁止」と書いて注意喚起してやった。にもかかわらず、猫は今日もリニアモーターをやめようとしない。よくないと思う、そういうのは。

 

なぜ猫は暗がりからの飛び出しをやめようとしないのか。
理由はいくつでも考えられるが、猫は日本語を解しない、という点が大きい。暗がりも飛び出しも禁止も、なにもかも猫にとってはただの黒い線である。日本語の受け皿をもたない猫と私では、日本語によって意思を通ずることができない。悲しいことだ。

しかし、これは逆もまたいえることで、私と猫とでは猫語によって意思を通ずることができない。猫語というのがあるのか知らんが、みゃみゃみゃみゃ言っているのが多分それだろう。聞いているとこのみゃみゃみゃみゃには色んなパターンがあり、高いみゃみゃみゃみゃ、低いみゃみゃみゃみゃ、長いみゃみゃみゃみゃ〜、短いみゃっ、濁音のついたみゃみゃみゃみゃ、か細いみゃみゃみゃみゃ、狼のようなみゃみゃみゃみゃ、と実に多岐にわたる。
人間にしても同じで、例えば人間が「は?」という時。「は?」には相手をバカにしたもの、心底の怒りを表すもの、まじかよ・・的なもの、聞こえないふりをするものなどがある。「は?」と言う人は都度、「は?」の持つ多様な意味の中から瞬時にこれという言い方を選別してふさわしい「は?」を口にする。

とすると、猫のみゃみゃみゃにもきっと意味がいくつもあって、猫は常に何かを訴えているに違いがない。しかしかなしきかな、私にはみゃみゃみゃの受容器がないのである。猫には申し訳がない。
私と猫は、互いに雑音を発しながら違う釜の飯を食いつつ、同じ屋根の下で生活している。

このままではいかん。言葉が通じる人間同士でさえ毎日どこかで争いが絶えぬのだから、意思疎通のできない人間と猫など言を俟たない。
猫の世界に「日本語を理解しよう」という機運があるか、それは知らんが見る限りなさそうなので、私らの生活をコミュニケーションの溢れたライフにするならば人間から動かねばならぬ。と、ここで僥倖。人間の世界では動物に興味を持ったおっさんとかが動物行動学とか動物心理学なる学問を拓いてくれている。
そこでコーラント・ローレンツというおっさんが書いた「ソロモンの指環〜動物行動学入門〜」という本を読むことにした。入門生となった私がこの本を読み終える頃、きっと猫のみゃみゃみゃが「水くれ」なのか「掃除しろ」なのか、わかるようになっているかもしれない。

 

※みゃみゃみゃ、は分からないが仕草ではなんとなく分かる。寝転がっている時に腹の上に乗ってきてスフィンクスみたいな体勢に落ち着く時、猫はたいていなかなか幸せそうである。