相毎モコ

400字で書くことを心がけ

イモ天の悪夢

話題、と一言にいってもそれは無数にあって、飼い猫の話、姑の話、今朝見たへんなおっさんの話、政治の話、ジブラルタルの話、今年の花火大会の話、練り物の話、茶色い花瓶には何色の花でも合うのよの話、上の階に住まう女子大生とおぼしき住人が夜な夜な同胞を集めて夜会を開いている、のにも拘らず自分は部屋にひとり、寂しいようなむかつくような情けないような、とても複雑な心境なんだよ最近という話、星座の話、家族サービスがもはや仕事のようになっていて疲れを取る日が一切ないんだよ皆無なんだよ俺にはもうの話、飼い犬の話、などエトセトラ・・・・例を挙げれば90年くらいかけても挙げ尽くせそうにないんだけれども、やはり面白さというか人気不人気みたいなステータスがあって、天気の話と自分が見た夢の話は面白さのワーストを争うほど面白くない、不人気のキングと云われている。

 

 

なぜ天気の話が面白くないかは色々根深いので置いといて、他人の夢の話が面白くないのは、夢というものが基本的にぼやぼやしていて不安定なもの、また超個人的な体験なので他人と共有することが難しいという夢の性質によると思われると思われる。

 

とは言いつつも最近見た夢の話を以下に話そうと思う。「夢の話はつまらない、と言いながら夢の話をするということは、君はそう初めに断っておくことで読んだ人がつまらなくても夢の話だからしょうがない、つまらないのは自分のせいではなく夢の話の性質によるものだ、と言いたいのだね、そんなことはお見通しですよ、君」と、フロイト博士が生きて目の前にいたら言われると思うが、すでに先輩社員から毎日見た夢の報告をするように指示され、毎日報告しているので、もはや「自分の夢の話を他人にしてはならない」という掟は破られており、ここに書いたとしても孟子がいうところの五十歩百歩である。

 

夢の報告は、先輩と社用車に同乗していることから始まった。他人が面白がる話題が慢性的に枯渇している自分にとって、社用車という狭く限られた空間に知り合って間もない人と同じ時間・空間を共有するということは極めて困難であった、困苦の塊を膝に抱えているようだった。

しかし、自分は入社してから数週間ほどしか経っていない中途入社社員であり、仕事を覚える・教えてもらうためにも先輩社員との親交はなにかと深めていなければならぬ。

前の仕事を辞めてからというもの、空き家となっていた実家にひきこもり、下水に流れる藻のような生活をし、発話する貴重な相手といえばヤクルトを売りにくるおばさんと中古のトラクターを買いたいと言ってくるインド人だけであった。その生活を続けるうち、次第に発話・会話のテンポというかマニュアルというか妙のようなものを忘れ、話題が枯渇した。

 

そして会社。会社というのはいろんな人間の蝟集する場所で、そこにはやはり話題がなにかと必要になってくる。
話題に枯渇した自分がなぜ会社に入れたのかわからんが、面接は「女の子と遊びに行った時に金を全部出すか、それとも割り勘にするか、どう、そのへん?」という話しかほぼ聞かれず、「割り勘ですかね」と答えると「ほーん、今はそうなの? みんなそんな感じなの? 俺の時は全部男が払ってたもんだよ、じゃないと誰もついてきてくれなかったからね、あと車持ってるとか」「そうですねえ、やっぱり今は女性がどんどん方々で進出してきている時代ですから・・お金を払いたい、自立していることをちゃんと証明したい、経済的なとこでも男と同じ土俵に立ちたい、っていう気持ちもあるんじゃないでしょうか、なんというか、時代だと思います・・」「ほーん、なーるほどねえ。あと、最近の若い人って車持ってないですよね? あれ、なんでなんだ? 俺らの時は18になったらすぐに免許取って車買ってたけどね。今はそんなこともないの?」「・・いやあ、確かにそうですね、大学でも昔はもっと車持ってる人が多かったってよく聞きましたけど、・・・時代なんじゃないでしょうか」「時代ねえ・・」「時代です・・」

面接を思い返してみると、「時代」というのがキーワードだったのかもしれない。「時代」と言っているだけでなんだか丸く、そしてぼやけつつも収まるところに収まるような感じがある。時代という言葉は、けっこうのっぴきならない、危ない言葉だと今思う。

 

そんな感じで会社に潜り込み、先輩と同乗して気詰まるようになり、難儀していた。
難儀していたのでもはや話題の中身などどうでもよく、とりあえず静寂から解放される、空中に音語が飛び交っていればそれでよい、と思い、タブーとされていた夢の話をするようになった。
夢だけは毎日見ていたので、とりあえず貧素な話題のレパートリに加えるしかなく、夢の話をしているうちに気づくことがひとつ。
仕事の夢、仕事に関わりのある夢しか見ていない。

話す夢の内容から仕事の色が抜けることがないので、先輩から「お前、だいじょぶか、精神状態」と言われるようになり、先輩は神妙な顔をするようになった。

やばいなあ、と少し思った。そこで「後輩の精神的な健康は先輩が心配して当たり前理論」により、毎日の夢を報告し、本当にやばそうだったらその時はその時でなんかする、ということになったのである。

 

以上が夢報告の経緯であり、さっそく昨日見た夢の説明を。

 

・部長から「近いうちにイモ天が流行る、絶対に流行る。イモ天の市場調査をしてこい。イモ天のマーケティングが終わるまで帰ってこなくてよし。対象の範囲は日本全国。」と命令が下る。自分、行脚する。イモ天、不人気。困苦、懊悩。

部長は上司であり、自分は部下。カラスは白いと部長がいえば、自分は「ややっ! あんなところにも白い鳥が! さてはカラスですな、部長殿」とかなんとか言わなければならず、かく言わないことはすなわち死を意味する。
ちなみにイモ天とはさつまいもを輪切りにしたのち、天ぷら粉をからめて揚げた料理である。さつまいもにしてみれば、なんとも残酷無情な仕打ちであるが、庶民の食卓によく並ぶありふれたレシピ。
なぜイモ天が夢に出てきたのか。これは明快で、その日の出張で訪れた店舗の惣菜コーナーでイモ天を目撃し、「イモ天かあ。昔、よく食卓に並びましたが自分はこれがあまり好きじゃなかったねえ・・・イモ天は遠足で友達とおかず交換をする時に生贄にするのがいいよってさくらももこも書いてたし、やっぱ人気ないのねえ・・・」と考えたからだった。今までの自分の夢経験からいうと、その日に見たなにげない物が夢に立ち現れることが多い。無意識下で意識している物事というのは、いつ顔を出すか知れた物ではないので恐ろしい。

市場調査、マーケティングとは、まあそういう会社だから。全国を行脚するとは、成績不振によりそのうち遠方に飛ばされることを意味しているのだろう。そして、イモ天はやはり不人気のままで、おかず交換の槍玉に挙げられ続けることを示唆しているのだろう。

ということを先輩に話したところ、明日も報告するように、と言われた。
しかし明日は土曜日。公休である。しかしがしかし、公休にもかかわらず、っていうか公休だからこそなんだけれども、会社のバーベキュがある。
明日も夢の報告をしなければならぬ。肉と酒も買わねばならぬ。あと、スピード違反の罰金も払わねばならぬし、住民税も払わねばならぬ。「羊たちの沈黙」と「ドラゴンタトゥーの女」をゲオに返さねばならぬ。印鑑の証明もせねばならぬ。姉夫婦に中元を送らねばならぬ。
ならぬことが山積みで、追い詰められてまたそれっぽい夢を見そうだが、「いい夢みろよ、あばよ」と柳沢慎吾が言っているようにできればいい夢が見たいので、柳沢慎吾の動画を見てから眠る。