相毎モコ

400字で書くことを心がけ

恐怖のネコ フローリング

フローリング。

これはめちゃ怖い現代の産物だ。なぜ人類はこんなモンスターを産み出してしまったのか。日本人なら日本人らしく、畳とかその辺の木板で充足しているべきだった。なんでこんなことになってしまったのか。
理由はまあ色々あるだろうが、そんなことは今はどうでもいい。とにかく恐怖ポイントとして、まずその脆弱性が挙げられる。
すぐに傷がつくのだ。いや別に傷がつくのはどうでもいいが、賃貸借契約を結んで部屋を借りている以上は退去時に原状回復義務なるものが生じる。借りたものは借りた時の状態で返す、というルールである。ルールは守らなければならないが、傷がつくとルールが守れない。そして悲しいことに、傷は減ることなくどんどん増えていく。ヤルセーヌ。

なぜ傷がつくかといえば、よく分からんがなんとなく思い当たるのは、あの微妙なふにふに感に原因があるのではないか。
フローリングと一口にいっても、色々なフローリングがある。堅いフローリングもあれば柔らかいそれもあって、うちのは柔らかいそれである。
踏み心地、歩き心地を考慮してソフトなものにしたのかもしれないが、おかげで猫がダッ!と走り出しただけで爪痕が残るような有り様だ。
ダッ!と走り出す猫が悪いのか、柔らかいフローリングが悪いのか、こんな些事を気にする自分が悪いのか、何が何だか分からない。ただ厳然としてフローリングは傷ついている。

また、椅子を置いただけでも椅子の足跡が残るのは驚きだ。置いただけでも跡が残るとは、何事か。次に借りる人が「ああ、前の人こんなとこに椅子置いてたのね…」と感じてしまうに違いない。
椅子がどのくらいの重さか分からないが、片手で持って踊るのも問題ないくらいの重さだ。そんなに軽いものでも置いていると跡が残る、これは恐ろしいことだ。悲しいことだ。

しかしいつまでも悲しみに暮れていては、人間やっていけないのでなんとか明るく考えなくてはならぬ。
そういえば、こんな話があった。
中世のヨーロッパにひとりの敬虔な信徒がいた。彼女は毎日欠かすことなく教会へ通い、毎日同じ場所で跪いて神に祈りを捧げた。彼女が祈りを続けたその場所には、今でも彼女の足跡がくっきりと残っているという。業界では聖なる痕跡としてひっそりと讃えられているそうだ。
そこで思うに、長時間直立していたらこの敬虔な信徒のように、自分の足跡を残せるのではなかろうか。聖なる、とまではいかなくともそれっぽい人間の足跡を。

しかしながら、人の足跡がある賃貸部屋。教会ならいざ知らず、賃貸マンションでの足跡はとても違和感がある。聖なる感じどころか、事故物件の類として認められかねない。
そんな部屋を借りたい人がいるだろうか。いないに決まっている。
それならどうしたらいいのだろうか、フローリングについては。
何も解決しないまま埋もれていく。