相毎モコ

400字で書くことを心がけ

読んだ 宮沢章夫「わからなくなってきました」

地下鉄。
英語でいえばサブウェイだが、自分はもっぱらサブとして利用していない。7日に6日、少なくとも5日は乗っている。
一週間のほとんどで乗せてやっているというのに、サブはないだろう。と、サブウェイこと地下鉄の声が聞こえる。はっきりいって、自分にとって地下鉄はウェイだ。

そんなウェイに乗っていると、たいそう暇なので仕方なしに文庫本を読んだりするが、宮沢章夫が書いた「わからなくなってきました」という本は悪書だった。

どの辺が悪書かといえば、まず表紙が悪表紙である。やせ細った仙人のような人物が2人、相対シンクロナイズするようにして立っている。結構あほっぽい表紙だ。
そのあほっぽい表紙を周囲の人に見られてしまうことで、読んでいる自分もまたあほっぽい印象を与えかねない。
人はおおむね、あほっぽく見られたくないと思っていると思う。
「他人からあほっぽく見られたいか否か」という質問を10000人にしたとして、「見られたい」と答えるあほは1人いるかいないかだろう。
よって自分もあほっぽく見られたくない人間の1人なのだが、この宮沢章夫の本によってあほっぽく見られる恐れが発生する。
本書が悪書たるゆえんである。

そして根本的に困るのが、この本が面白くて1人で笑ってしまうことだ。これもまた、悪書たるゆえんにノミネートされる。
ウェイの中で笑う。2人なら、3人ならいい。とにかく1人で笑っていなければ、その笑いは微笑ましい、人と人とが手を取り合った笑いである。
しかし、公共空間における単独の笑いは、これはもうなんというか違和感がすごいのではないか。
なんでだろう。なんでウェイでの1人笑いは違和なのだろう。

その秘密は死ぬまで分からないかもしれないし、死ぬまでに分かるかもしれない。
まあそんなことはどうでもよくて、とにかく本書で宮沢章夫は「わからなくなってきました」という言葉の滋味をまず教えてくれる。
その他にも色々面白い視点を教えてくれて、はっきり言って、めちゃいい本である。

※あと宮沢章夫は「だめ」という状態が好きで、そこも味があっていい。