相毎モコ

400字で書くことを心がけ

銭湯に通う

銭湯はパラレルワールドだと思う。

部屋にいる日がどのくらいあるか不明だ、という理由でガス(プロパン)の契約をケチった結果、銭湯通いをしている。
夏の間はよかった。越してきた時期が初夏だったこともあり、水を浴びるだけで済む。しかし、あほだった。そして、なめいていた。
日本には四季とかいうものがあり、木々は葉を茂らせ、紅潮させ、落とし、芽吹かせる。つまり、寒暖の存在、っちゅうやっちゃね。
タイには日本のような四季が無く、いつも木々は茂っているような気がするが、木々は飽きないのだろうか。そしてそれを見る人々も。。。。

他し事はさておき、ガスが通っていないため、冬である現在は銭湯に通う日々。修験者でも北欧の人でもない自分は、真冬に冷水を浴びたら肺炎になって死ぬ。今から契約すればいいジャン、と言う人もあるが、込み入った事情によりそれができぬ。

通う銭湯は、辞典の挿絵に出てきそうな銭湯だ。のれんをくぐって左右に女男が分かれ、その向こうに番頭のおやじがいる。それと、しわくちゃの老翁たち。
ケロヨン。
得体のしれない石鹸。
ざらついたカラン。
そして、富士山。

なぜか知らんが、銭湯には富士山の銭湯画なのだ。
昔は銭湯画を専門に描く画家がいたらしい。今はどうなんだ。きっといなくなっただろう。
銭湯通いをして初めて気づいたが、自分の住んでいるところに温浴設備があるというのは、すごいことだ。自由闊達、随意に湯を浴びたいだけ浴びられる。これが一般化されたのは、高度経済成長の後期あたりなのではないか。それまではきっと、あらゆる場所に公衆浴場、銭湯があった。今はもう、そんなに無い。銭湯画家たちも同時に消えてしまったに違いない。湯気のように。万物は流転する、バイ、ヘラクレイトス

エニウェイ、富士山である。
どこからどう見ても富士山である銭湯画を見ながらいつも体を洗っているが、今日はパラレルワールドを発見した。
よくよく見渡すと、女湯の方にも富士山の絵があるじゃないですか。
女湯に忍び入ったわけではない。銭湯の上層部は吹き抜けていて、上の方なら反対の様子が分かるのだ。
女湯の絵を見ると、まさに富士山。そして見慣れた男湯の絵を見ても、富士山。角度こそ異なるが、富士山が同じ大きさで横に並んでいる。それって、変じゃないですか。違和じゃないですか。
これって、どうゆうこと?

富士山は一番高い山だから、すごいのだ。とは思わないが、これでは富士山の唯一性が崩れてしまわないか。。。。。
とは誰も思っていないようで、番頭のおやじは富士山なんかよりもボイラーの調子がよくないと嘆いていた。

男に生まれたら一度は憧れるものが女湯だ。
色々な想像を男たちはするが、そこには男湯と同じようにケロヨンがあり、得体のしれない石鹸があり、ざらついたカランがあり、角度の異なった富士山があるだけで、男湯のちょっとしたパラレルワールドなだけではないのか。はじめてセックスを終えた男の到達感に似たものが思われてならない。
憧れを憧れのままにしておいた方が幸せなことは、沢山ある。

憧れを現実にしてしまったのは、番頭のおやじのみだ。
おやじは、女湯のことよりもボイラーが気になってしょうがない。女はおやじを、現実的な生き物にした。