相毎モコ

400字で書くことを心がけ

読んだ 「牛の道」宮沢章夫

今日もまただめである。もうこんなことは止めて平和に地下鉄に乗りたい。みんな普通に乗っている。ありふれて乗っている。「ありふれた人生を探していた 傷つきたくないから」と草野マサムネは歌っているが、そんな気持ちでいっぱいだ。

またしても宮沢章夫のせいである。今日も宮沢章夫のせいでだめだった。何度となく我慢や辛抱をしたが、宮沢章夫の本はにやけてしまう。地下鉄で文庫本を読みながら笑っている人は、なんだか場にそぐわない。誰にもメリットがない。意味とかメリットとかそういうのを求める時代にあって、誰にもメリットがないというのは居たたまれなくて困る。
しかしとりあえず今朝オヒスに入る前にドトールで無理矢理読み切った、明日から平穏に地下鉄に乗れる。しゃーわせです。ていうか幸せといえば、「おててのしわとしわを合わせてしあわせ なーむー」というCMが昔あったが、しわとしわを合わせても「しあわせ」にはならんというのはどういうことなんだ。あれか、体育を「たいく」と図らずも略してしまう、肉体的な音声的な言葉の曖昧模糊を突いた現象か。違うか。違うかもしれないが、同じ文字が続くと体育の二の舞で図らずも略してしまうものなのだろうか。しかしそうなると、ホトトギスを「ホトギス」と図らずも略してしまう人についぞ会ったことがないのは変だと思う。北斗の拳の「あたたたた」も「あた」になってしまい、軽く小突かれて痛くはないけど一応言っとこうという時の「いたっ」みたいで間が抜ける。それはそうとホトギスといえば、大学の頃コトリスさんと呼ばれている先輩がいたが、彼は全く小鳥らしくなかった。

コトリスさんが今どうしているか、それはストーンヘンジの秘密と同じくらい秘密に包まれている。
そして宮沢章夫の本はあと2冊くらい残っている。困っている。