相毎モコ

400字で書くことを心がけ

水道屋といえば柴田理恵

中島らものなにかのエッセーで、ご飯が好きすぎる人の話があった。その人は、チャーハンを注文する時にチャーハンを大盛にするのでなくして、チャーハンとライスを誂えるらしい。それは白米への純粋な、無邪気な愛であり、ある種高尚な行いにさえ思える。
この話を読んで思い出したのが、大学生時の食生活だった。思考に「グルメ」という枠がなく、いかに腹の空間を満たすか、それだけを考えていた。あの頃は、というか今もだが、金がなかったんである、美食を意識するだけの余裕が、口座にも財布にも、こころにもなかった。
僕もチャーハンでライスを食べていた時期がある。チャーハンは味が濃いので、十分おかず足りえたし、一度ですべてのチャーハンを消費してしまうのは口惜しく、複数回に分けてチャーハンをおかずにし続けた。今となって考えると、どうも野蛮なことをしていたと思う。
同じことをしていても、心構え、出発点が異なると、やはり品の上下、格の違いというものが出てくるような気がする。

ということはおいといて、先ほどからトイレの水が止まらない。湯水のように流れ出るそれをどうして止めればいいのか、僕は知らない。どうすればいいのか。こんな時間に水道屋はやっているのか、やっていないのか。分からないことが多すぎる、この世の中は。無惨である。
そして多分、400字を越えてしまっている。ため息。