相毎モコ

400字で書くことを心がけ

バオバブ童貞の末路

バオバブ
なんと力強い響きだろう、バオバブ。四つの文字のうち、3つに濁点がついている。そこが力強さの根元だ。そそる。マダガスカルに生えているあれだ。

このバオバブには実がなるらしく、考えてみれば植物なのだから実くらい楽勝だろう、過日、その実から作られたと思われるバオバブジュースなるものを飲んだ。
浜松町にある、アフリカ料理屋でであった。ボンゴ?というのかなんというのか、アフリカの民族太鼓を聞きながら飲んだのである。


ジュースをそういってから運ばれてきて、口にするまで時間をかけた。イメージをした。バオバブが生えている景色を。その実が自分のような日本人が思い描くこともないままに実ってゆく過程と、その間に受けた日光と風と雨とを。
なぜイメージしたかというと、バオバブの味をもはや知っている自分と、知らない自分の間には雲泥の差があるのであって、その差に勝手に恐れ、自らの変身・変化に躊躇したからである。その過度の瞬間が貴重で、愛おしいものに思えたからだ。

目の前のバオバブジュースは、赤みがかった茶色、というのか、褪せた和紙を液状化したもの、というのか、そんな感じでざらざらした見た目だった。

結果。
筆舌に尽くしがたい、という表現は憚りたいが、どう考えても筆舌に尽くしがたい味だった。
それこそ舌に、いつついたのか分からないがとにかく気が付いたらついていた傷、みたいな残り方をした。
とにかく、蛇や蛙を食べたときの「鶏肉に似ている」みたいな感想の、未知を既知にこじつけられる感じがない。

もはや、バオバブの味を知らぬ私ではない。
バオバブについて知らないことと言えば、バオバブの実がどんな姿をしているか、である。めちゃくちゃ気になる。とてつもなく気にかかっている。
とそこで、Googleとかを使って、あるいは図書館で「アフリカの植物」かなんかでその姿を確認することは容易である。
容易であるので、「容易なことを若者はすべきでない」と云う遠藤周作の言葉どおり、これはよして、自分の目でバオバブの実の姿を確かめに行きたいものだ。
そして、「ワーオ」とマダガスカルのサバンナで叫びたい。