相毎モコ

400字で書くことを心がけ

憧憬のヤクーツク

闖入者の発生。住んでいるアパートに小さなゴキブリが出るようになってしまった。
悲しいことである。

と、悲しむのに違和感があるというのは、そも、人間とゴキブリ、どっちが先に住んでいたのか、ということが引っかかるからだ。多分、ゴキブリである。ということは、闖入したのは自分で、迷惑しているのはゴキブリの方なのではないか。

さらに、ゴキブリが人間の周りに存在していて、不自然なことがあるだろうかね。ないね。
っていうか、ゴキブリだけじゃねえ、他の生き物もそうで、別にいちいち意識してないが人間生活の周りには現代日本でいえば烏、鳩、野良猫、ネズミ、蝿、蚊、なんたらダニ、かんたらムシ、すずめ、ムカデ、アリ、イヌ、金魚、シェパードなどが目に見えて存在しており、ヴィールスや微生物なんかの肉眼で確認し難いのも存在している。

こんな雑多な世の中で、ヒト以外と生活したくない、なんて考えはどうなんだろうか。無理なのではなかろうか。共存共栄があちこちで叫ばれる時代じゃないか。
とすると、ゴキブリのいる生活空間というのはじねん、いきとしいける者の在るべき空間に違いなく、これを駆逐して己だけの快適空間を創出せしめよー、なんて言動は羞恥を知らぬエゴイズムであって、これこそ駆逐されるべき思考である。
よって、種も目も科も関係ねえ、命あるもの全てと手をとって、鳩もメダカもゴキブリも、みんな一緒に生きてこう。やってこう。
21世紀はダイバーシティの時代だよね。いいよね、多種多様性って。サワディーカップ



という風に、空のように広い仏の心を持つことが私にはできぬ。
かつて、日本の地にはゴキブリが存在していなかったという。原産はアフリカらしい。
誰だか知らないがアフリカからこの虫を持ち込んでしまった輩がいたはずで、ああ、なんてことをしてくれたんだろう。

あらゆる生物は複雑な利害関係で結ばれていて、どこかのつながりがほつれると、全体に影響を及ぼす。このつながりこそがひとつの大きな生命体であり、生きては死んでを繰り返して、生命体は続いてゆく。意味のない存在など、ないのだよ。
みたいな考えが仏教にはあるが、ゴキブリがこの世からいなくなったとして、いったい困ることなんてあるだろうか。駆除業界とゴキブリの研究をしていた人らだけだろう。仕事は他にもあるし、研究しなければならない事は他にもたくさんある。

ドラえもんひみつ道具に、ある存在をなかったことにできる機械があったが、あれでゴキブリを消したい。
しかし、ジャイアンが消えてもスネ夫ジャイアンの地位につくだけで、のび太の苦しみは変わらなかった。
ゴキブリを消しても、ゴキブリに替わるなにかが出てくるだけである。。。。。。
怨憎会苦。


どうしたらいいのかまったく分からず、ゴキブリ問題が解決しないことには人生に希望が見いだせないので、早いところ北海道とかアラスカとかヤクーツクとかスピッツベルゲン島とか、寒い所に移住したいでございます。