相毎モコ

400字で書くことを心がけ

巣食いの書 マーク・トウェイン「人間とはなにか」

スターウォーズが上映中だが、8を見ていないので、9を見てもよいものかと戸惑うこと3週間。自分は4を見てしまった。やはりスターウォーズマーク・ハミルで、ルーク・スカイウォーカーだ。スターウォーズといえば、アナキン・スカイウォーカーなのではない。ルーク・スカイウォーカーなのだ、スターウォーズは。やっぱりルーク、マーク・ハミル

というのは、ドラえもんの声優に覚える感じに似ている。
ドラえもんの声優は、富田耕生野沢雅子大山のぶ代水田わさび、と移ってきた。4人いるが、『あぁ、ドラえもんだぁ』と細胞単位で反応するのは、このうちのひとりだ。
多くの子供は、今の子供はどうだか知らないが、ドラえもんを浴びて育った。おそらく一番初めに見たドラえもんを、一番多く浴びるだろう。ドラえもんは子供でなくなったらそうそう見ないから。
初めに、しかも長い間に聴覚と視覚で植え付けられたイメージは、殊の外つよい。

スターウォーズを初めて見たのが、自分は4で、そこにマーク・ハミルがいたのでスターウォーズマーク・ハミルの映画になってしまった。
きっと1から見た人はアナキン・スカイウォーカースターウォーズそのものと言うだろうし、7から見た人はデイジー・リドリースターウォーズのシンボルだと言うだろう。


先日読んだマーク・トウェインの『人間とはなにか』について、大学の知人と話していたら、なんだか違う感想がでてきた。

人間は何一つ生み出すことなく、模倣しかできない。環境に適応、機械的に反応するのが関の山。自由意志とか尊厳とか万物の霊長とか、そういうのは全部幻なんだよ。
要約するとこんな感じだと思う。
そんで、最終的に自分が思って書いたのは、こういった無力や虚無に傷つけられても頑張ろう、ガッツで。抗うことに意味があるぜ、そういう反骨心、臥薪嘗胆、またくぐり、一言で言えば生の躍動? みたいな? みたいなことを宣っていたが、ちゃんちゃら適当なことを書いていてほんとに。

話していて違和感が隠しきれなかった。嘘をついていた。

こんな、昔「どうとく」の授業にあったような美辞麗句ではなく、なんつうかな、ガッツで踏ん張るみたいなことではなくて、この本でマーク・トウェインが死ぬ前に書き残したかったのは、無知の知、っつうかな、とにかく、人間には無いのだ! 何の力も意思も無いのだ! と精神的に全裸になることで、なにか自分を守っていた殻が壊れるが、なんか今までにない感じが生まれる。このことを言いたかったのではないかと思うのだ。

無力であることを、なにも作り出せないことを、成長しないこと、人間には自発的なナニモノも存在しないことを認める。見つめる。認める。見つめる。認める。見つめる。認めると見つめるは同じだね、って、小学校の標語にありそうなフレーズ。


ゆらゆら帝国の「空洞」が思い浮かぶよ。
ドーナツの穴は、空洞だけど、あの穴がなかったらドーナツはドーナツでない。ドーナツは可食部にあるんじゃない。空洞こそが、ドーナツだ。あんドーナツは知らん。
空洞も捨てたものではない。救われる。
機械同士、がんばろうね。。。