相毎モコ

400字で書くことを心がけ

敵のシグナル味方のシグナル

幼児というのは純粋で、無知で、信心深く、ゆえにあほだ。俺にも幼児の時代があった。あほだった。泥水とか口に含んでた。幼児でなくなった今、あほでなくなったのかは知らないが、幼児の俺は通りの信号機を見て、なぜライトの色が変わるのかを疑問に思った時、こう考えていた。
信号機の柱の中には空間があり、そこに人が入っている。右手にスイッチ、左手にタイマー。これらを駆使して信号の色をかえているのだと。

後年、県の施設の交通博物館か交通公園かなんかで婦警さんの話を聞き、真実を知った。
よく考えれば、あんな細い柱に人間が入れるわけがない。座ることもできず、立ちっぱなしだ。辛い。信号機のライトを人が操作するなんて、有り得ない話だ。

と思って、20数年間、生きてきました。そんで俺は知った。人が操る信号機があることを。

タイにそれはあった。
信号機の柱の中に入ってこそいないが、大きな幹線道路の傍らに小屋があり、人が入っている。
この中で信号燈交換手とも呼ぶべき人が、交通状況を目視して色を切り替えているのだ。
こっちが溜まってきたからしばらく流そう、などと考えてやるものだから、時には5分も10分も赤、なんてことがあるらしい。
バンコクは非常に渋滞が多い国だそうだが、ただ車輌が多いから起こるわけではなかった。

タイ バンコクの信号機は交換手によって支配される。停滞中の赤組には重要な商談に遅れそうな人、彼女との待ち合わせに間に合わなさそうな人、小便を漏らしそうな人などがいたはずだ。焦燥、不安、駆引、希望、哀願、諦念ETC。実に様々なドラマがあったに違いない。。。


幼児の頃に観ていたヒーロー戦隊番組で、シグナルマンというのがいたが、これは一応、正義の味方だった。
現実のシグナルマンが味方か敵か、それは運による。
敵と味方って言葉は、ひどく勝手で曖昧だ。元幼児の俺はそう思えるようになって、あほではなくなれたような気がして、実際はあほの定義も分からないまま生きてきました。28の夜。