相毎モコ

400字で書くことを心がけ

女も男もブーメラン

100時間くらい前、つまり金曜の夜だがウーマンリブを自称する知り合いともつ屋でビールを飲んだ。
彼女と話しているとなにかと、あらゆるおっさんの前時代的な振る舞いとか、ふと女性目線で気づく社会のおかしさなど、そういった話題が出てくる。
そんで、自分も男なので、このままもし生きていれば自然とおっさんと呼ばれる生き物になる予定だ。その予備軍としては、彼女との会話に関しては聞き苦しい僅かな時間がある。ホンネ。

ほんで、でも自分は、この男女間の権利主張の類のほとんどは、「今の若い奴らときたら。。。」の水掛け論と大差がないなと思ってしまう、これは男だからなのか、だが、比較できるということは相対的だということだ、相対的ということは、ある面で正しいと同時にまたある面で正しくないということだ、相対する物事を絶対だと思い込むことを危惧しなければならないのに、そうしないと正義を叫ぶ自分も同じ穴のムジナ、っつうか、仮に逆の立場になった時に迫害される者は迫害する者になる、なってしまうだろうよ、迫害した者は迫害されるし。そんで、敵対者が存在すること、これは楽なことだ、戦争は共依存だしね、時代とか社会とか無理にでも敵に仕立てないと味方を探せない、って桜井も言ってた、ってミスチルの桜井。
これは果たして、男性目線の自己弁護だろうか、なのでしょうか。だとしたらおれはおかしいのか。女性の敵なのか。

討つもまた討たるるもまたあわれなり同じ日本の乱れと思えば、って武田は言ってる、天狗党武田耕雲斎。みんないらついているし、おらついている、みんなって自分も含めて。

宗教の諍いと変わんねえ。与党と野党のそれとも変わらねえ。環境保護捕鯨問題も警察も菜食主義も、構造が変わらない。争い、敵対、対立のほとんどが。女たちも男たちも。

俺たち私たちはブーメランを投げずにいられない。手にしたブーメランをまっすぐな槍だと思いこんで力の限り投げる。


中には返ってこない本物の槍もあるだろう、そして過去にあっただろうから、一方的に刺した人々刺された人々がいるしいただろう、それはほんと、どうにかしないといけないけどね・・・