相毎モコ

400字で書くことを心がけ

バグる味蕾

大きな人、と書いて大人。たまに、洟垂れでもやたらでかい餓鬼あるいは御子息がいたりするが、まあたいていの子供は大人より小さく、大人は子供より大きい。
こういうことを今の子供に言うと、「で?」と言うのだろう。おそらく。やれん。


大人になると味覚が変わる、とよく耳にする。味覚細胞がバグって味蕾がアホになるので、苦いと感じていた物を苦く感じなくなるらしい。それで秋刀魚の肝だの珈琲だのをウマイと思うになるそうだ。子供の敏感な、真新しい味蕾では、こうはいくまいて。奴らの感受性豊かな味蕾は、苦いものを苦しい味、辛いものをつらい味と素直に感じる。精神的にナイーブな人が批判や挫折に弱いように。
そうすっと、舌が馬鹿になればなるほど、バグればバグるほど、ポジティブにウマイと受け入れられる食べ物が増えることになる。厨房に立つのでない限り、その人生は極めてナイスだと思う。
舌がどんどんどうかして、口に入れるもの全て美味佳肴、みたいな状態になれれば日々がフィーバーだと思う。


でも、そうなると変なのは、「たばこを辞めると食べ物の美味しさを感じるようになる」という言い伝え。
たばこを吸っている人と吸っていない人、どちらの舌が馬鹿でないかはまずもって吸っていない人の舌の方が正常だろう。でも、正常であるということは苦味や辛味、不味にも敏感なわけで、たばこを辞めるとそういう状態に近づいていくわけで、美味しく感じる幅が狭くなっていくはずだ。苦しみや辛みをあははと言って笑えなくなるはずだ。だのに。だのに、世間は「たばこを辞めるとうまいぜ、君」などと言う。

禁じる、というのはあらゆる対策の中でも最も簡単で、最ももっともらしいので、恐ろしいものだナーと思う。あらゆる場面でたばこが目の敵にされ、あらゆるシーンからたばこが消えてゆく世界で社会の中にいて。
筒井康隆の小説のようにたばこが駆逐された後、次の獲物として容易に禁じられるものは何なのだろう。たぶん、なんでもいいのだろう。未来はバグっていく見込み。