相毎モコ

400字で書くことを心がけ

ゴムの木育て

横から貰ったゴムの木がコンクリート打ちのベランダに置かれているアパートの一室があった。屋根は緑色だ、周りの家々はグレイとかネイビイなのに。私の部屋である、家賃は53000円也。ガスが使えない。ガス屋の親父と契約するタイミングを、完璧に失っているのだった。

ゴムの木のゴムってなんなのかって、それはゴムだよね、輪ゴムとかのゴム。あのゴムが採れるからゴムの木なんて呼ばれているのだろうが、いい感じに採取できそうな雰囲気、そんなものはいっこうにない。茎なのか幹なのか、真ん中の部分を伸ばして、1ヶ月に1枚、みたいなペースで葉をつける。そんなことでいいのか、ゴムの木よ。もっと茂ってほしいよ、何かの縁あって育てている身としては。

原産地は分からないが然るべき土地に生えることができたらこいつも、きっとゴムを採取されたのだろうと思う。ゴムの木にとって、ゴムを採取されることは幸せなのだろうか。ゴムを多く採られればゴムが人の世に多く流通して「ゴムっていいじゃん」と思う人が増えて、ゴムの木を植える人もまた増える。そんで、ゴムの木も殖える。

果たしてそんな世の中がゴムの木にとって幸せであるのか、幸福であるのか、それは正味微妙なところだ。
ゴムの木からゴムを採取するためにはゴムの木を傷つけなければならない。ナイフとかで。小学生の頃、学研シリーズの本で俺はそれを知った。見るからに民族、みたいな外人がそうやってゴムを採取していた、あのページを俺は今も覚えている。もっと覚えていなければならないことがたくさんあるのに、免許の更新とか納税とか。
おそらく今ではゴムの木をバーッとどうにかしてダーッとゴム液を絞り出す、みたいな工業的なやり方でゴムを採取してるんだろうが、なんにせよゴムの木は切られ伐られて傷つかねばならない。傷つけられることによって、ゴムの木はゴムの木たりえる。


そんな感じで悲しい運命にあるゴムの木だが、ここ最近新しい葉をつけない、っていうか芽が伸びない。
鉢が小さいのだと思う。
入る器の大きさに応じてどこまで生長できるか、それが決まる。
これはおそらく人間も同じことで、環境によって自分の成長や出世がだいたい決まってくる。だいたい想像がつく。
やはりなにかの器に入る、所属する、先がイメージできてしまうというのは恐ろしいことだと思うぜ。そう思ったのだぜ。

という話を、女にしようとおもったのに。保険の営業で架電してきた女、この女がマニュアル通りに一方的にまくし立ててきたから、俺も自分の話したいことを聞いてほしくてタイミングを見計らって「それでなんですけどね、ゴムの木のゴムってなんなのかって、それはゴムですよね、輪ゴムとかの」と話し始めたら、またかけ直します、と言って切れたのだぜ。
もう電話してこないと思うのだぜ。