相毎モコ

400字で書くことを心がけ

観た ミッドサマー

昔、ミッドサマーフェアという名の牝馬がいたが、個人的な印象でいうとまことにふざけた馬であった。私が彼女の馬券を買うと全く走らず、買わない時に限って走る、という道化を演じた彼女も今ではすっかり繁殖馬。母ミッドサマーフェア、うーむ、ある意味の思い出補正でおそらく買ってしまうと思われる今日この頃。

そんな競走馬がいたことを映画「ミッドサマー」を観て思い出した。なんだか注目された映画らしいが、月曜日に会社で当年37になる女性社員に教えてもらうまでわしは知らなかった。そんで非常な興味を覚えたね、コミューン、伝統、カルティック、わくわくしますなこれらの響き。見終わった後、っていうか観ている最中から感じていたが、いたく後悔した。「これを観ていなかった頃の、知らなかった頃の自分に戻りたいです戻れるなら」などというコメント・前評判があることを37歳から聞いていたが、これ、聞くべきでなかった。「これはそういう映画なんだ、サイコホラーなのだ、めちゃ怖いぜマジ」という先入観が僕のハートに植えられてしまい、映画の進行と共にそれは生長し、やがてそんな感じのシーンが来ると、「ほらね、きたね」みたいな単なる答え合わせに終始してしまうことになり、結果、全く戦慄できなかったのであるのである。

サウスパーク的にいえば、今日は大切なことを学んだ、映画は観る前にどんな映画なのかの情報を得てはいけない、自らの生の感受性で受け止めること、免疫のない心で臨むことが大事なんだ、それが僕らの宝になるんだ、トゥラウマになるかもしれない、でもそれはかけがえのない何かだよネ。
ということをしみじみと思い知らされたので、今後は気をつけて生きていきたい。注意が肝要である。

まあ、なんだか支離滅裂な映画だった。動静、陰陽などのギャップというかズレに頼り過ぎな感がある。
例えば自分が怒られているとして、怒っている人が怒りを顕にしながら怒っていれば違和感がないので、怒られていること以上に恐怖や圧力を感じない。でも、笑いながら怒られると、感情と行動がズレているので、そのズレに違和感・不快が生じる。
そういうズレを得意げにぶつけてくる、そんな映画だナと思った。